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?なんで?? 小菅4丁目は足立区じゃない

 千代田線綾瀬駅の南側の「葛飾区小菅四丁目は足立区に挟まれているが、どうして葛飾なの?」――。同区新小岩二丁目の清水悦美さん(74)からの便りで地図を広げると、足立区綾瀬の間に割り込むように、綾瀬駅まで葛飾区が細長く伸びている。この区境の誕生の経緯を調べてみた。

 葛飾区郷土と天文の博物館学芸員の谷口栄さんは、この境界は古代には「国境だった」と説明。武蔵国足立郡、下総国葛飾郡の境界だったのだが、ここが境界になった理由は単純で、この線に沿って「古隅田川」が流れていたからだ。

 利根川の流末だった古隅田川は、東から西に流れて綾瀬川と合流の後、隅田川につながっていた。曲がりくねったラインは「低い土地を求めて(雨水が)流れた結果」(谷口さん)で、古隅田川は「下総と武蔵を分ける大きな川だった」。江戸時代に上流部の治水が行われたことなどから細流となって現在の姿に近づき「川が細くなっても区境として残っている」わけだ。一九〇九年(明治四十二年)の地図でも細部の違いこそあれ、古隅田川が現在の区境と同じラインで流れていることが確認できる。こうした経緯は小菅四丁目の白鷺公園そば、現在の古隅田川沿いにあるモニュメントにも記されている=写真。

 では、地元の人たちはどう思っているのか。

 小菅四丁目には二つ町会があるが、北側の「綾瀬町会」(八木道男会長、約六百世帯)副会長の篠崎春子さん(67)は、「この町内は新しく越してきた人ばかり。面積は狭いけど町会としてまとまっているんです」と説明。「一の瀬商店会」会長の土沢忠さん(66)も「不便はない」という。将棋が趣味の木桧(こぐれ)繁さん(76)は、小菅敬老館のほか「よく足立区立の集会場にも行く。向こうの方が大勢仲間がいるから」。三人の子供たちもそうだが、以前は同町内の子供の半分以上が近くの足立区立小学校に通ったという。

 三人とも六〇年代に小菅四丁目に移住。同町会では署名や嘆願書を葛飾区に提出して足立区への編入運動を展開したこともあったが、「いま思えば町会としてまとまっているので、編入しなくてよかった」と三人の意見は一致。「葛飾の盲腸」と言われたりもするが、足立の選挙の候補者が演説していたり、車中から呼びかけたりする“混乱ぶり”も、小菅四丁目ならではの風景だ。