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牛嶋神社御鎮座1155年大祭

 牛嶋の名は、両国、向島の本所一帯が天武天皇の時代に国営牧場が設けられ、牛嶋と言われていたことに由来しているらしい。向島の地名は江戸期に呼ばれるようになった名で、浅草の方から隅田川の向こうに広がる辺りをそう呼んだことから始まったといわれている。
 9月14、15日は御鳳輦(ごほうれん)の御神幸(ごしんこう)で始まる。牛嶋神社は氏子が多く、5年に1度の大祭は町会ごとに行事日程が組まれている。14日午前9時、御鳳輦出発の準備が進行しつつ、本殿前に鳳輦が牛を入れる準備が整ったようだ。
 御鳳輦を引く牛は、これまでは東北地方で飼育され、訓練されていたのだが、東日本大震災でそれが出来なくなり、急きょ京都から連れてきた黒牛だと言う。
 カメラマン、見物人、お稚児さん、付き添いのお母さんたちで、境内と周辺は大混雑でした。この日は御旅所(おたびどころ)で1泊した。
 聞き違いか、見間違いか、15日は午前10時に一番神輿(みこし)が宮入りと記憶していたので、9時30分に牛嶋神社に着いた。一の鳥居の方を見ると人でいっぱい。
 水戸街道から源森橋通りを囃子(はやし)屋台と左右に揺れながら神輿が近づきつつあった。神輿の数も51基だそうである。それらが3方向から順次宮入りする。午前は南部地区、午後は中部地区と北部地区と連合渡御する。隊列は水戸街道より源森橋通りから参道に入り、宮入りする。延々と続く隊列は広い道路の半分を使い、神社は広い区域の北に位置しており、両国など南部のほうからだと道中も長いので、神輿を担いで宮入りする担ぎ手もさぞ疲れることであろう。でも、本社のお囃子を聞くと疲労は吹っ飛ぶそうである。
 神輿と列の中に入ってもみくちゃになりながら撮影するのもきつくなってきた。年のせいか。さて木が入って神輿が落ち着くと、うまに収まる。神主の御祓(おはらい)を受け、公園側の鳥居から静かに町内に通じる路地に消えた。他の神社では見られぬ光景である。

撮影日 9月14、15日
わが町リポーター 市川たけし