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東日本大震災から2年 かーちゃん記者が被災地・石巻へ

 大津波で多数の児童が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校に昨年12月、かーちゃん記者が赴いた。震災以後、被災地支援を続けてきた江戸川区立下小岩第二小学校サポートセンターの関係者として、支援先を一度訪れたいという思いから同僚と6人で東北に向かったが、正直、現地に行くことは直前までちゅうちょしていた。 
 大川小に到着すると、周囲に何もない中にポツンと鉄筋コンクリートの校舎が廃墟となって残されていた。当時はおしゃれな校舎であったに違いない。一昨年の10月に学校の前に建てられた母子像のそばには「校門」が祭壇として、今回の津波で亡くなった不明4人を含む70人以上の子供たちを弔う花が供えられていた。
 学校の南側にある裏山の麓(ふもと)に1台のショベルカーがあった。現地の方によると「行政の搜索が打ち切られた後、当時1年生のお子様をお持ちのお母さんが、行方不明の我が子を探すために自らショベルカーの免許を取り、今も学校の校庭や山の斜面を掘り続けている」という。かーちゃん記者は言葉に言い表すことのできない思いにかられた。
 その校庭には背の高さほどもある卒業制作の壁画が残されていた。震災の約10年前に制作した絵には岩手県出身、宮沢賢治の言葉が書かれていた。廃墟とショベルカーの風景を焼き付けて帰ってきた記者の心に、その言葉が今も響いている。「世界が全体に幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」
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 石巻市立大川小学校は、2011年3月11日、地震後に追波湾(おっぱわん)から北上川を遡ってきた津波が河口から約5キロに位置する同校にまで達し、校庭に避難していた全児童の7割にあたる74人(教員の犠牲者は10人)が死亡・行方不明となった。