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戦中からのペナン島の交流相手が死去 葛飾の小林さん 日本に家族招き「偲ぶ会」

 浄土真宗の寺院「浄泉寺」(鈴木康正住職、葛飾区白鳥)で2月9日、マレーシア人のザイヌル・アジスさんの冥福を祈る「偲(しの)ぶ会」が、アジスさんと深い親交を続けていた小林正さん(87)(同区立石)が企画して開かれた。長男のアズマンさん(60)ら子供たちや兄弟、孫、ひ孫などザイヌルファミリー24人が来日し、仏教法要の形式で焼香を上げて故人を偲んだ。
 アジスさんは昨年11月23日、マレーシア・ペナン島の自宅で亡くなった。84歳だった。知らせを受けた小林さんは、戦時中、シンガポールからマレーシアのペナン島に入り、終戦後2年間、マレーシアで捕虜として過ごした苦い経験を持つ。
 小林さんが初めてアジスさんと会ったのは、今は避暑地として知られるペナン島のやや北部の丘「ペナンヒル」。アジスさんの父親は日本語ができ、まだ少年だったアジスさんも父親から日本語を習っていて、ペナン島の海軍病院で日本軍の仕事をしていた。異国で出会った少年との交流が記憶に残り、戦後35年を経て、小林さんはペナン島再訪を決意。アジスさんと再会を果たすと、その後は家族同士で親密な付き合いを続けてきた。
 アズマンさんによると、アジスさんは小林さんを訪ねて過去10回ほど来日しており、「父と小林さんはいい友達。小林さんはとても親切で正直な人。家族みんな日本好きです」。アジスさんについては「日本語がしゃべれるだけでなく、文化も理解していた」といい、日本語の曲も好んで歌っていたそうだ。
 「偲ぶ会」には、アジスさんの家族24人を含む約40人が参列。慣れない雰囲気の中、ザイヌル家の人々も全員焼香した。その後のあいさつで、アズマンさんは日本語で「父は(今年)2月に東京に来る計画でした。父は日本の皆様、食べ物、そして日本の美しさが大変好きでした」と語った。また、1972年にアジスさん夫妻が初来日した際、「彼(父のアジスさん)は私に、当時有名だった歌手・尾崎紀世彦のレコードを買ってくれました」とのエピソードも披露した。
 小林さんは戦友の長田文男さん(86)とともにあいさつに立ち、亡くなった多くの戦友を思い出して声を詰まらせる場面も。最後は「マレーシアの人、本当にありがとう。アジスさん、一生忘れません。心の太陽。安らかにお眠りください」と故人の冥福を祈った。
 その後の食事会は、和食を食べながら和気あいあいだった。2月7日に日本に到着したザイヌル一家の多くは、「偲ぶ会」を終えると日本観光も楽しみ、13日に日本の思い出を胸に帰国した。