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心を被災地に 〜現地に訪れて初めて分かる被災者の今(下)

 前回は、江戸川区芸能文化協会有志が今年6月に慰問で訪れた宮城県女川町の仮設住宅の事情を紹介した。東日本大震災で被災した人々が抱える千差万別の苦境が外部に知られる機会もないまま、当事者たちの孤軍奮闘は続いている。今回は慰問団が「コインランドリーで偶然出会った」という、自分の家で生活するがゆえに、支援の手が届かない被災者の現状を伝える。

 石巻市大街道在住の里山朋子さん(仮名)(42)が住む家は、震災後に二重ローンを組んで手に入れた戸建てだ。前の持ち主が手離したこの家も、津波の被害を受けて1階部分が浸水し、損壊部分を補修しながら住んでいる。「持ち家」にそこまでこだわるのは、子供たちのためだ。
 里山さんには、中3、小2、幼稚園年長組の2男1女がいる。震災直後は車の中で数日過ごし、親類の家での滞在を経て、抽選で当たった仮設住宅に入居できることになった。「子供がいる我が家は、その中で静かに、といっても無理」と、それまでは避難所を利用せず、切り詰めた生活で乗り切っていたが、家電一式や食事が支給される仮設住宅に落ち着くことにした。
 ところが、話し声や子供が外を駆ける時の砂利の音に苦情を言われ、時にはあからさまに「子供がうるさい」とどなる隣人の存在に、子供たちがおびえるまでになった。「このままではいけない」と、震災前の家のローンを残したまま、銀行に足を運んで新たに資金を借りて家を買った。
 「無理して求めた家ですが、子供たちが大きな声を出し、歌ったり遊んだり、何より笑顔が戻ったのが一番良かった」と言う。
 津波によって家も仕事も失い、仮設住宅から出られる見込みのない人には、二重ローンが組める里山家は恵まれている、と映るようだ。ところが仮設住宅を出てみると、公的支援として供給されるものは何一つ無くなるという。
 里山さんの夫は建設関係の仕事に就いているが、二つのローンを抱えて3人の子供を育てる生活は楽ではない。同様の環境にある被災者は、近隣に多数いるという。
 里山さんの隣に住む独り暮らしの女性(75)もその一人。震災当日は自宅を留守にしていて無事だったが、戻った家は部屋一面が水につかっていた。途方に暮れて石巻市役所に行くと、「避難所に行くように」と言われるばかりで対応してくれる職員はいない。疲労困憊(こんぱい)したまま帰宅した。「庁舎内を見たら水などの支援物資が入った段ボール箱が山積みされていた。いくら役所の仕事とはいえ、水1本いただけないのか、と泣きながら帰った」
 その後は、拾った段ボールを重ね、押し入れの上段で眠って何日も過ごした。家族がいないこの女性のもとには、ボランティアが震災の片付けに訪れたが、町内の民生委員は今年5月まで様子を見に来ることはなかったという。義援金で家財道具はそろったと感謝するが、「不自由な思いをしているのに、いまだにパンひとつ、おにぎり1個いただいていません」と、行政の対応には強い不満を示す。

コインランドリーでの出会い
 6月17日に江戸川区から慰問に来た田崎国男さん・豊子さん(江戸川区中央)が里山さんに出会ったのは、石巻市内のコインランドリーで乾燥機を利用していた時だ。
 里山さんから事情を聞いた豊子さんは、トラックに積んでいた支援物資の一部を提供した。その後、里山さんが田崎さんに送ったお礼のファクスを通じて、この時にもらったサッカー用バッグの元の持ち主が、日本舞踊家の猿若清紫恵(きよしえ)さん(同区松江)と分かり、清紫恵さんとの交流が始まる。清紫恵さんのバッグは、サッカー好きな里山さんの息子に喜ばれた。
 「被災地向けに義援金や物資が相当量集められたはずだが、必要なところに届いているとは言えない」。この現状を知った清紫恵さんが音頭を取り、東北慰問に関する新聞記事を読んで新たに協力を申し出た仙台市出身の二木富久子さん(同区松江)や、それぞれの友人らと支援の輪が広がっている。
 現地に何が必要か確認しながら清紫恵さんらが物資を郵送する度に、里山さんが同様の境遇にある近所の家族に配っているという。
 清紫恵さんは秋に石巻を再訪する。

サッカーバッグ縁に
 本稿の素材となった里山さんから清紫恵さんに届いた便箋7枚分の手記は、「支援とか物資などテレビの世界のお話で、私とは無縁のことだと思っていました。(中略)サッカーバッグから縁をつないでいただき、力を、元気を与えてくれます。…支援、応援してくれる人がいると感じられるということは、本当にすごいことです」と締めくくられている。
※支援物資・義援金・ボランティアの協力は、猿若(利根川)さん電話3653・2585かファクス3653・2584。