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“宮城のばっちゃん”が震災を語る

津波を三度経験した82歳

 “宮城のばっちゃん”が震災を語る

江戸川・松江小

津波で亡くなった妹の手製ストールを見せて語る菅原さん(右は萩野さん)

津波で亡くなった妹の手製ストールを見せて語る菅原さん(右は萩野さん)

 

 宮城県志津川町(現南三陸町)に生まれ、昭和三陸地震(1933年)、チリ地震(60年)、2011年の東日本大震災の大津波を経験した菅原幸子さん(82)が、3月4日に江戸川区立松江小学校(江戸川区松江、堀越和子校長、児童588人)の5年生に向けて震災当時の様子を語った。

 菅原さんは、東日本大震災後、一時避難として江戸川区篠崎町に住む弟、萩野三雄さん宅に約3か月滞在した。お世話になった地元の人に恩返しがしたい、という菅原さんの思いから体験談を語る場が設けられた。

 昭和三陸地震の時は生後1か月で母親に抱かれ逃げ延びた菅原さんは、チリ地震は妊娠8か月の身重の体で津波を逃れた。東日本大震災では、夫の位牌(いはい)を抱えて高台の保育所のそばまで逃げたが津波が迫り、裏山を登り小学校の避難所にたどりついた。その後も頻発した余震はチリ地震では経験しなかったもので「なんだっていつまでもおさまんないんだべな~」と、体育館の床にダンボールを敷いて眠れぬ夜を過ごしたことを振り返る。

    避難所で出会った90歳の女性と過ごした18日間、妹を失った悲しみ、息子夫婦と一週間ぶりで再会できた時、津波の凄惨(せいさん)な光景を記憶に残す4歳の孫が「ばあば、生きていてよかったね」と泣いたことなど、震災直後の出来事が“ズーズー弁”を交えて伝えられると、涙を浮かべて耳を傾ける児童も見られた。志津川地域に伝わる合言葉「命てんでんこ」の言葉を教わった早瀬大亮君は「東京にも地震が来るかもしれないので、この言葉を思い出して命を守れるようにしたい」と話していた。