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「疎開の歌」のメロディーは? 明治小の「疎開先写真」展示を前に

 深川東京モダン館(江東区門前仲町)で2月27日から3月10日まで、企画展「明治、明治第二国民学校と太平洋戦争」が開かれ、明治小学校(江東区深川)の卒業生で作る「明治同窓会」が所有する疎開当時の写真などを展示する。開催にあたり、「明治同窓会」の「集団疎開総合調査係」は、疎開先で女子学童が歌っていたとされる「疎開の歌」のメロディーなどの情報を広く求めている。間に合えば企画展の会場でその録音音源を流したいという。
 太平洋戦争当時、明治小学校は男子の明治国民学校と、女子の明治第二国民学校の2校に分かれていた。1944年夏、疎開先の新潟県岩船郡の5町村(当時)には両校学童が同じ列車で出発し、温泉旅館などを学寮として寝起きしながら、地元の小学校に通った。
 疎開・終戦から50年の節目を迎えた1990年代半ばには、明治同窓会の疎開経験者たちが新潟県内の各町村を訪れて交流。この際、調査係は多数の写真を新潟の人々から入手した。今回は、これら当時の学童たちの生活ぶりを伝える貴重な写真を中心に展示する。そのほか、後に日本社会党委員長になる浅沼稲次郎氏(当時は東京都議)が、集団疎開中の地元・深川区の全国民学校学童に宛てた45年元旦の年賀状(ガリ版刷りの手紙)や、50周年交流会のときの写真なども展示予定。
 一方、疎開先の女子学童たちが通学時に皆で一緒に歌っていたとされるのが「疎開の歌」。歌詞は残されているが、メロディーを書いた譜面はなく、作詞者、作曲者も不明だ。
 その歌詞は「疎開は勝つため 国のため 必ず元気でやり抜くぞ そうだそうだ やり抜くぞ」(1番)、「静かな田舎でたくましく 心とからだを鍛えるぞ そうだそうだ 鍛えるぞ」(3番)といった具合で、明るさと勇ましさにあふれている。この歌を知る人を見つけて歌を録音させてもらい、譜面や合唱音源にして後世に残したいというのが調査係の希望だ。
 さらに、この歌は城東区第三大島国民学校の44年度卒業生有志が編集した冊子「哀(かな)しみと憤りの学童疎開・東京大空襲」にも歌詞が掲載されていることから、近隣の他校の学童も歌っていたと考えられる。この歌詞は、同年度卒業生で冊子の編集に携わった新井一雄さん(日本図書館協会会員)が、同校の疎開先の山形県米沢市で寮母をしていた佐々木(旧姓・高橋)昭子さんから聞き書きしたもの。この〝第三大島小バージョン〟には2番がないが、他の歌詞は一致している。
 歌を収録できたら、現在の明治小の音楽教諭が譜面に起こしてくれる段取り。調査係では、この歌を歌える人は東京下町界隈(かいわい)に大勢いると見ており、企画展を見に訪れる人たちを喜ばせる意味でも、開幕前に音符作成まで果たしたいとして広く情報提供を求めている。
 同展は午前10時〜午後6時(金、土曜は午後7時まで)。無料。3月4日休館。同展と歌に関する問い合わせは調査係電話090・1063・5190。