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「東都よみうり」創刊40周年

「東都よみうり」創刊40周年

埼玉の長谷川さんが33年前の紙面に対面

父の遺品に「追憶 大正・下町の子どもたち」

 

「東都よみうり」は、今年6月で創刊40周年を迎えました。地域情報を発信し続けた長い年月の間には、地元の人たちとのさまざまな縁が生まれています。この節目の年に33年前に発行した「東都よみうり」を求めて、埼玉県から訪ねてきた人がいました。

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「千歳一丁目 昔語り 東都よみうりに連載さる」――父の遺品のカセットテープに書かれたこの言葉の意味を確かめようと、5月26日、埼玉県北本市の長谷川秀夫さん(67)が、東都よみうり新聞社(江戸川区船堀)を訪れた。

秀夫さんの父・長谷川幸康さんは「東都よみうり」に「追憶すみだ

モノクロ写真には「一の橋通・聨合」「中元福引大売出し」などの看板が写っている

モノクロ写真には「一の橋通・聨合」「中元福引大売出し」などの看板が写っている

の里 大正・下町の子どもたち」と題する文章を寄せた。掲載されたのは1982年(昭和57年)9月から12月まで、計7回。本所区千歳町(現・墨田区千歳)に生まれ育った当時70歳の幸康さんが語り部となり、大正初期の両国かいわいを回想する内容で、写真資料は墨田区立緑図書館が提供している。

「竪川にかかる一の橋を渡ると、すぐ両国の回向院で、広い境内にはサル回しやコマ回し、のぞきからくり、バイオリンを弾きながら流行歌集を売る演歌師などがいたのを覚えています」「国技館で相撲が始まると(中略)大変なにぎやかさでした。高いヤグラの上に太鼓をのせ、呼び出しの人が朝早くから太鼓をたたき、そのカン高い威勢のいい音が、寝ているふとんの中まで聞こえてきたものです」

両国駅の蒸気機関車や人力車、浅草に向かう小舟の一銭蒸気など乗り物の話から、大川(隅田川)の船宿や花火大会、母校の現・両国小学校や緑一丁目交差点付近の映画館など、のどかな風景が幸康さんの実直な語り口でつづられている。特に子供の遊びが多く記され、一番の遊び場だった江島杉山神社の祭りと屋台の喧騒(けんそう)、人気の紙相撲や石蹴り、メンコ、紙芝居、竪川ではタクアンでカニを釣ったり、川面に弾んだ回数を競う石合戦をしたり――。現在とは異なる子供たちの姿がそこにはある。

 

「町史資料 私の町の思い出」を手に父を回想する秀夫さん。手前左が当時のカセットテープなど。右が当時の「東都よみうり」

「町史資料 私の町の思い出」を手に父を回想する秀夫さん。手前左が当時のカセットテープなど。右が当時の「東都よみうり」

幸康さんは1911年(明治44年)生まれ。掲載文は語りを吹き込んだテープをもとに、当時の記者が文字にしたものと思われる。その聞き起こし原稿が、テープと一緒に秀夫さんが見つけた文章の束「町史資料 私の町の思い出」のようで、160字詰めの原稿用紙230枚ほどにもなる。

次男の秀夫さんは22歳で実家を離れたため、父のこの活動を知らなかった。幸康さんは88歳で亡くなり、昨年3月には母の治子さんが98歳で天寿を全うしたことで、今年から実家の片付けを始めたという。テープは劣化を防ぐため音声をCDRに移した。同時期に見つけた写真には「一ノ橋通り」との文字が書き込まれている。

父の顔写真も載った新聞のコピーを持ち帰った秀夫さん。町会役員など、もしこれを必要とする人がいれば「コピーを渡してつながればいいな」と話していた。