top

「大地讃頌」作曲者 佐藤眞さんに聞く

 “母な~る大地の ふ~と~こ~ろに”の歌い出しで始まる合唱曲「大地讃頌(だいちさんしょう)」。迫力に満ちた歌詞と重厚感のあるメロディーが生み出す荘厳な雰囲気は、参加する者に混声合唱の醍醐味(だいごみ)を感じさせ、曲の完成から半世紀以上経過した現在まで広く歌い継がれてきた。音楽の教科書や副読本に掲載され、授業や合唱コンクールなどで歌った経験がある人も多いだろう。
 1962年にカンタータ「土の歌」第7楽章として「大地讃頌」を作った東京芸術大名誉教授の佐藤眞(しん)さん(75)は、幼少期に江戸川区に移転し現在も北小岩在住だ。合唱の世界で揺らぐことのない地位を確立したこの曲は、実は当時の業界事情に翻弄されて一時“お蔵入り”を経験している。そんな背景を佐藤さんに聞いた。

小澤・N響団員の軋轢の余波で
芸術祭に間に合わず“お蔵入り”

 「大地讃頌」誕生の発端は、日本ビクターが61年に翌年の文部省(現在は文化庁主催)芸術祭の参加を見込んで作品を企画したことに始まり、62年の宮中歌会始の勅題「土」にちなんで「土の歌」の題で同社専属の作詞家だった故・大木惇夫さんが詩を書いた。完成した作品は、東京混声合唱団が歌い、NHK交響楽団の演奏で小澤征爾さんが指揮する予定だった。東京芸大専攻科(後の大学院)に在学していた佐藤さんは、その年に作曲した組曲「蔵王」で実力が評価され、別作品の第30回日本音楽コンクール作曲部門での受賞も重なり、年末にビクターからの委嘱を受けて「土の歌」の作曲に取り組むことになった。
 ところが、62年6月にN響の常任指揮者となった小澤さんと団員の関係が徐々に悪化、そのうわさは北小岩の自宅で作曲に励む佐藤さんのもとにも届いた。事態は日を追うごとに深刻になり「ちゃぶ台で曲を書きながら気が気ではなかった」という。
 後に「N響事件」として世間を騒がせることになる両者の軋轢(あつれき)の余波を受け、「土の歌」は指揮者を変更し、後任の岩城宏之さんの欧州からの帰国を待って9月に録音に持ち込んだが、その時点で芸術祭出品には間に合わないことが判明した。結果、販売は見送られた。お蔵入りとなった作品が日の目を見るのは2年後、東京オリンピック開催に合わせて日本ビクターが64年にLP版「土の歌~ソング・オブ・アース」を発売した。「大地讃頌」はその後、「土の歌」のピアノ伴奏用の楽譜を出す時にアマチュア向けにキーを下げて編曲されたものが普及している。

佐藤眞合唱曲演奏会は
2月16日午後2時開演

 「半世紀たつと他人(ひと)の曲と同じ。今は演奏家として向き合わなければと思う」。現在も新しい曲を書き続け、後進の育成にいそしむ佐藤さんにとって「大地讃頌」は通過点の一つに過ぎないようだ。とはいえ、2月16日に開かれる江戸川区総合文化センター(江戸川区中央)の開館30周年記念区民合唱祭では、自身の作曲した「旅」「生きてゆく」「土の歌」を、自ら指揮するという大きな仕事が待っている。特に「大地讃頌」はこの日のために結成された合唱団が半年間の練習の成果を披露する。「土の歌」の一曲としてオーケストラ伴奏での演奏を聞くことのできる貴重な機会ともいえそうだ。「毎回少しずつ新しいことをするつもり」と語る佐藤さんが、自身の作品をどのように演出するか楽しみだ。
    ◇
 「大地讃頌~佐藤眞合唱曲演奏会」は2月16日午後2時開演、全席指定2000円(未就学児入場可)。出演は江戸川混声合唱団、江戸川区少年少女合唱団、すみだ少年少女合唱団、大地讃頌を歌おう合唱団。佐藤眞オーケストラ。プログラム中の童謡メドレー「ふるさと」では「会場の皆さんも一緒に歌ってほしい」と佐藤さん。チケットの申し込みは同区総合文化センターTEL3652・1106。